ラング・ド・シャ・ブリュレ

ネガティブなひとに捧げる、明日を楽しく生きられるように!のブログ。「ラング・ド・シャ・ブリュレ」の日本語訳は「猫の舌・焦がす」です。

最近考えていること

一瞬でおわる記事です。笑


叶いかけてるけど満足してはいない
っていう状況ってよくありますよね。

むしろ、満足にやれていることって少なくて、
がんばってるけど全然足りねぇ!ってことばかり。

で、ふと思ったんですが、全然足りねぇ!って状態って限りなく0に近いと思っていたけど、実は限りなくFULLに近いのでは?

例えば、「貯金1000万円を目指してるけど現状10万円しかない」っていう今は0円に近そうに見えて、断然1000万円に近いと思うんです。
貯金0円の人と10万円の人の間には何か重大な壁がある気がするし…。

走り出してる時点で、わりといいポジションにいるよって思うと、挫けずに頑張れそうだし、実際そう思うから、焦らずちゃんとやっていこう色々と。

以上です!
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なるようになる、が座右の銘です。

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小学生の頃から「なるようになる」が座右の銘なんですが、

最近その意味が一段深くなった気がする。

 

 

今までは、

「一通り考えて行動したらもうできることはないから、どうなっても結果を受け入れよう!」(人事を尽くして天命を待つに近い?)

みたいな感じでとらえてたんだけど、

 

今は、

「期待と行動を結びつけない。やろうと思えることをやっていれば相応の結果になる」みたいに思うようになった。

 

じゃあ勝つために練習するスポーツ選手は?合格のために勉強する受験生は?となるとよくわからないし、全部に対してその考えを当てはめるのがいいのかはよくわからないけど、

 

たとえば、

給料あげたいから仕事がんばるっていう関係性が強すぎると、

上がらなかったときに仕事がイヤになっちゃうし、

モテたいからダイエットするってことをやってると、

本当は今のままでもいいのに今のままじゃモテないみたいな暗示にかかって苦しいし、

フラれないように掃除洗濯料理をしてると、無言のプレッシャーを与えるし、

仕事したいから仕事する、

痩せた自分の姿を見たいからやせる

掃除洗濯料理したいからする

って思ってがんばってたら、結果お給料上がったしモテたしフラれなかったよっていう方が楽しいなって思うし人間的に魅力的だなと思う。

 

期待持たないっていうドライな事を言いたいわけじゃなく、期待のために我慢するという構造からやりたいことやったら期待がかなう(かもしれない)という構造に変えるとなんかいいよねっていう。。。これもしかして当たり前のことなのかな、わたしが卑屈すぎるのかな。。。とも思いつつ。。。。

 

要約すると、期待のために動かず、動くために動く、そうすればなるようになる(そんなに悪くはならない)ということを思っている。

 

あと、昼に東大生をいっぱい輩出してる中高一貫校の取材やってて、そういうレベルの人たちって勉強そのものを楽しんでそうだなって思って。

勉強が本当に無理とか運動が本当に無理とか、とにかく無理だけどやらねばって感じたときは、やらないで本人が好きな他のことに人生を使ったほうがいいのではって思うけど、そんなに無責任なことを言っていいのかもわからないのでちょっと断言しないでおこうと思います。子育てって難しいんだろうな。

 

 

 

 

歯切れの悪い文章ですみません。

 

ガキ使の街で芸能人見つけるやつ好き。笑 

序盤でアイスコーヒー休憩するのが好き。

 

おやすみなさい!

ヒーリングとカウンターアタックだけ極めようと思う

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肉体改造にハマっている中野です。昨日はボクシングに行ってきました。スタイルがよくなると服選ぶのが楽しくなるのでオススメです。


最近パーソナルカラーとか骨格タイプとかで自分にあったファッションをするのが流行ってますが、無理せずとも自然に似合う服を見つけたときは嬉しくなります。反対にこの服似合ってないなーと思いながら過ごす一日は地獄です。早く帰りたい。

そうやって自分のもともと持っている特性に逆らわずに生かすことって何においても自分を助けてくれると思うんです。


突然ですが、わたしは「三つ子の魂百まで」をわりと信じています。

子供の頃どんな子だったかを思い出してみると、今とさほど変わらないと思うし周りを見ていてもそう思う。

もちろん、本を読むのが苦手だったけど我慢して読んでたらスラスラ読めるようになったとか、しまう場所を決めたら自転車のカギをすぐ無くさなくなったとか、人前で下手な歌を歌うのがイヤすぎて自主練してたらカラオケが大好きになったとか、経験と努力をもとに成長はしていますが、人見知りとか小心者とかのんびり屋とか性格に密接に関わる部分は今もほとんど変わっていません。

だから、今後わたしが急に早口でIT用語を巧みに操ったり、人に嫌われることを恐れずクールに大きな決断をしたり、大人数をまとめて引っ張っていったりすることはないと思うんです。台本があってこれ通りに動けばいいよ、と言われれば別だけど。


だったら何ができるか(何なら輝けるか?)って考えたときに思ったのが、ヒーリングとカウンターアタックだけ極めようということでした。最前線でガツガツ活躍することはその素質があるだれかに任せて、倒れた人を手当したりよきところでたまに攻撃したりする係になろうって思っています。(ゲームのたとえばっかりでごめんなさい。笑)

わたしの場合は人の疲れを取るのが好きなんです。マッサージとか耳かきとか話聞いたりとか。代わりに(?)論理的かつ合理的に話したり、緊急時に冷静に判断したりするのがとても苦手です。攻めと守りなら守り。

これを仕事に生かすとしたら、まさか耳かきはできないので、人の話をよく聞いてはやとちりしないで意図を正確に理解する。コミュニケーションで相手を煩わせない。みたいなところが強みになると思うんですが、それが分かるだけでも、なんか自分の戦い方というか成長のしかたの指標ができるので、一度考えてみるのオススメです(偉そうにすみません)。あとは守りといえども武器は一つくらい持っておきたいので、文章まわりのスキルは常に磨いておいて、チャンスがあれば「それならわたしできますよ」という状態にしておきたいなと。

ところで人気の少年漫画って、強くてみんなを引っ張っていく人、弱いけどムードメーカーで精神的な支柱になる人、性格に難ありだけど頭脳明晰で頼りになる人、なんか特殊な能力を持っててここぞというときに助けてくれる人、みたいにみんな違ってみんないいをちゃんと教えてるので教育だなぁと思います。子供のころはあんまり興味なかったけど今見ると面白いなーって。


何はともあれ合理的でスマートな人しかいなかったら息が詰まるし、全員ほわほわしてたら地球終わるし、結果自分のままでいいんだなと思うようにしています。


あとは、相性が良くなくてわかりあえない人がいても、結局はそれぞれ違うところでわかりあえるから、頑張って分かろうとしなくていいんだ、と思う。ちょっと寂しいけど。


おしまいです。

荒療治はもうやめよう。

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はじめに

見てわかる通り、

ブログの更新頻度が減っています!

一個がんばると一個疎かになる性格なのでお許しください。

 

辛い思いすれば成長できる訳じゃない。

今日のタイトルは「荒療治はもうやめよう。」ですが、わたしは極端に自分に負荷を与えて苦手を克服する、ということを長年続けてきました。

 

行動がのろいのがコンプレックスで、わざと忙しい飲食店でバイトしてみたり、寂しがり屋な自分がイヤだから無理な一人旅をしてみたり、人見知りを治すために合コンにいきまくったり…笑

 

でも結果克服できたかといえば、どれひとつ克服していません。正確には、すべてマシにはなっていますが、上で挙げたようなショック療法的な作戦のおかげではないと思っています。というか、たとえ効果があるとしてもストレスの方が上回るのでやらない方がいいと思います。。。

 

克服するにはうれしさが必要。

のろいこと・寂しがりやなこと・人見知りなことがずっとイヤだった学生時代。それぞれどうやって気にならなくなっていったのか、まとめてみます。

★行動がのろいこと

小さい頃から「あさちゃんはのんびり屋さんだね~」と特に急かされることもなく、守られてきたわたしは特に問題意識を感じずに大人になりました。

でも関わる人たちが増えるにつれて

「まだ準備できてないの?」

「もう私やるからおとなしくしてて」

「もうちょっと急ごうと思わないの?」

などと言われることがちらほら出てきました。こういうの大人になって直面するの結構キツいものがありますよね。笑

で、これらからの脱却になにが役立ったかといえば、忙しいバイトへの挑戦でもなく、がむしゃらに早く行動する意識でもなく、

「あさこのそういうとこ癒されるよね」と言ってくれる周りの友達や、「おっとりしてるところが可愛い」と言ってくれる人の存在なんだと思います。

 

なんじゃそれって感じですが、「このままでもいいんだ」と思えるところまで自分のメンタルをまず持っていくことはとても重要。自分が嫌いだった頃は落ち着きを失って空回りしていたので。

現状、憧れのテキパキにはほど遠く、すばやく動くのは無理よりの無理ですが、動き出しを早くしたり、効率的にこなしたりすることで結果的に時間を短縮することはできるようになってきました。冷静になれさえすれば。いままで「遅いって言われたらどうしよう…!」という恐怖に使ってた脳のエネルギーを、作業に集中することに注ぎ込むイメージです。

 

★人見知りなこと

これは昔からの根深いコンプレックスなんですが、あまり仲良くない人と話すと極度に萎縮して他人行儀になってしまいます。でも人が苦手なんじゃなくて、人見知りしてる自分を見られるのがイヤだから、そういうシチュエーションを避けているだけなんだと思います。結局は人から嫌われることや怒られること、それによってさらに自信を失うことがこわいだけなので、本質的に人が苦手な訳ではないと思っています。わたしと同じタイプの人意外と多いのでは?

だから、ちょっとやそっとでは人に嫌われないし、怒られないという仮説を少しずつ確信に近づけていくことが人見知りを軽減するために必要なこだと思います。初対面の人と会いまくるにしても、否定されたり盛り上がらなかったりといったリスクが高いところを選ばずに、趣味が同じ人や穏和で気さくな人が集まっている場所を選んで、話が弾んで嬉しかった気持ちをたくさん感じることが大切。

 

そうやってコツコツうれしいポイントをためることが今頑張れていることに繋がってるなーって最近気づいて、苦しみながら頑張ってた自分に教えてあげたいなって思ったんだけど、もう無理だから、今そういうしんどい状態にある人が楽になってくれるといいなと思っています。

 

ちょっと思ったより長くなってしまったので、寂しがりや克服についてと、もうひとつ、電話恐怖症を克服したことについてを次のエントリーで書きたいと思います。

 

 

それでは!

 

とりとめのない話

前に比べて落ち込まないし大人に振る舞えるようになったかわりに、あの人と喋りたいとかコレやりたいとかどこ行きたいとか、そういう意欲が少なくなった気がする。

 

最近思うんだけど、10の楽しいことをやろうとする場合は10の辛いことを被るリスクがあって、1の楽しいことをする場合は1の辛いことしか返ってこない安心感があって、その組み合わせで人ってできてるのではと思う。

 

落ち着いて動じない人が羨ましいと思ってたけど(そもそもそんな人実在しないのかもしれないけど)それじゃ感動的に嬉しいことも少ない。一方特別嬉しいことを求めようとすると、それ相応のリスクとか責任とかが乗ってくるし、そもそも振れ幅が大きいときに感動するものだから、辛いことと嬉しいことはセットだと思う。

最終的にどんな人も自分の中でプラマイゼロになるし、誰かの人生が羨ましいとかずるいってことは無いんだろうなーとなんとなく考えています。

 

とくに実のない話でごめんなさい!

この話、年明けから下書き状態でこねくりまわしてるので一旦公開しました。笑

 

確信をもって言えることって少ないなーと思ったので、あいまいな投稿になってしまう!

 

カニ食べたい。

 

 

 

 

 

聞き上手であるべき、って最近よく聞くけど簡単じゃないよね



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こんにちは!

11月後半から、毎週3日ペースで飲み会があり、ぐったりしている中野です。

今食べたら奈良漬けみたいな味しそう。

 

上の画像はいらすとやで最近気に入っている、猫の重さにうなされる男の子。←女の子だった

わたしも毎朝こうなっている。犬だけど。

 

聞く力について考えてみます。

先に言っておきますが、わたしは聞くのが下手くそで、金言的な話はできませんのであしからず!ただの呟きと思ってご覧ください。

 

ブログでちゃんと言ったか忘れたのですが、わたしはフリーランスでライターをしています。

企業のホームページに載るインタビューとか、Webメディアに載るインタビューとか、商業施設の紹介とか、新商品の紹介とか。

 

なのに、人の話を聞くのがめちゃくちゃ苦手なんです。笑

(仕事なくなったら嫌なのであまり大きい声では言えませんが‥‥対物の紹介は得意なんですけどね)

 

聞くというか、聴く?

黙って耳を傾けるだけなら(よほどおしゃべりじゃない限り)誰でもできると思いますが、最近よくいう聞く力とか質問力とかって、聞いて話を広げられる力のことを指してると思うんです。

 

それってもう=話す力じゃん!と思うわけですよ。騙された。

 

むしろただ話すよりハードルが高い。

HIPHOPでいうところの、ネタはうまく言えてもアンサー返せてねぇなお前、みたいなのと近い。(わかる人にしかわからないこと言ってすみません)

 

だから、インタビューうまいひとって本当の意味で話すのもうまいんだろうなって思います。話すの下手だから聞き手に回ろう、は長い目でみると正解のようで正解じゃないのかも。

 

そしてここからはわたしのグチです。

取材行くとコミュ力のなさに毎回落ち込むんだけど、コミュ力以外の言い方でもっとしっくり来るものがある気がするなーと思っていて。

 

なんだろう‥‥質問力とかそういうスキル的なこと以前の感じがするし、共感力はある方だと思うし人は好きだから、人に興味がないともまた違う。

 

脳の回転が遅いからテンポよく質問できないという要因はひとつあるとして、そもそも話を広げるポイントを感覚として分かってない節がある気がします。

 

 

今まで聞いてもらう側になることが圧倒的に多かったのも一因なんだろうなぁ、としみじみと痛感していて。家族とか友達とか、わたしの話をニコニコ聞いてくれてたけど、わたしはちゃんと聞いてあげられていたんだろうかと。

 

心地よいフロウで熱いライムを刻めると気持ちいいけど、それだけじゃ会話は成り立たなくて、観客のフゥーが必要なんですよね。観客のフゥーを長い間サボっていたために、お恥ずかしながら話を広げる能力が欠けているなぁと思います。

 

あれ、わたし人の話聞いてなくない?って思ったのが22歳くらいのとき。それから徐々に聞き側に回るよう意識してきたんだけど、もともとは、わたしの話を聞いて!で生きてきたので難しい。

 

さんまさんだったら、話の合間にほんでほんで!っていうのかもしれないけど、ほんでほんで!の使うタイミングもよくわからない。。

 

22歳の時に気づいたとしてまだ6年なので、そう簡単にコミュニケーションのクセは変えれないかぁとも思っています。

とりあえず地道にコツコツと。。。

 

まとめ

会話には「フゥー」役が必要で、それはだれかの役回りではなく、自分も会場を盛り上げるオーディエンスになる気持ちで人の話を聞くこと。心ですごい~!と思ってるだけじゃ勝手に盛り上がってくれない。

 

自分が面白いと思ってる人は、リアクションをくれる周りにもっと感謝すること。笑

 

聞く力は黙って主張しない力ではなく、話しやすいように促す力であること。その能力は話す力より高度かもしれないこと。

 

結論

人と話そう。これを聞いたら深い話ができたな、とか感覚的にわかっていきたいなぁ。

話したいことがある人はわたしに話してください。。笑

 

 

お わ り 

 

 

 

 

イライラしても救われない

 

Canon AE-1(No.3)-30

こんばんは!

完全に昼夜逆転している中野です。

今日は短いですが、昔のメモ漁ってたら出てきた言葉があったので紹介します。

 

イライラしても救われない

どんなに自分が正しくても、

理不尽な事をされても、

死にたいと考えるほど衰弱していても、

イライラしてしまったら、人は優しくしてくれない。

 

同調してイライラされるか、哀れまれて距離をおかれるかのどちらか。

 

嫌な気持ちになったときは冷静に話をすればいいし、助けてほしいと泣けばいい。

 

イライラするって、いろんな欲求が叶えられなくてこじれた結果なんだよね。一次感情じゃないはず。

 

困ってるから助けてほしい、でも言えない、なんで私はそんなことも言えないんだ、そもそも助けてくれない環境がおかしい、日本はどうなってるんだ。みたいな。

 

もっとシンプルに、素直に、助けてほしいんだと、それだけを伝えられれば、もっと優しいコミュニケーションが取れるのに。

 

 

と、いつかの私は書いていました。笑

これいつ書いたんだっけな。

辛くてついピリピリしちゃうときもあるけど、

その手前にある自分(もしくは他人)の気持ちに焦点を当てたいよね。

 

 

おわり!

おやすみなさい!