ラング・ド・シャ・ブリュレ

ネガティブなひとに捧げる、明日を楽しく生きられるように!のブログ。「ラング・ド・シャ・ブリュレ」の日本語訳は「猫の舌・焦がす」です。

なるようになる、が座右の銘です。

f:id:asarikawa:20190428235216j:plain

 

小学生の頃から「なるようになる」が座右の銘なんですが、

最近その意味が一段深くなった気がする。

 

 

今までは、

「一通り考えて行動したらもうできることはないから、どうなっても結果を受け入れよう!」(人事を尽くして天命を待つに近い?)

みたいな感じでとらえてたんだけど、

 

今は、

「期待と行動を結びつけない。やろうと思えることをやっていれば相応の結果になる」みたいに思うようになった。

 

じゃあ勝つために練習するスポーツ選手は?合格のために勉強する受験生は?となるとよくわからないし、全部に対してその考えを当てはめるのがいいのかはよくわからないけど、

 

たとえば、

給料あげたいから仕事がんばるっていう関係性が強すぎると、

上がらなかったときに仕事がイヤになっちゃうし、

モテたいからダイエットするってことをやってると、

本当は今のままでもいいのに今のままじゃモテないみたいな暗示にかかって苦しいし、

フラれないように掃除洗濯料理をしてると、無言のプレッシャーを与えるし、

仕事したいから仕事する、

痩せた自分の姿を見たいからやせる

掃除洗濯料理したいからする

って思ってがんばってたら、結果お給料上がったしモテたしフラれなかったよっていう方が楽しいなって思うし人間的に魅力的だなと思う。

 

期待持たないっていうドライな事を言いたいわけじゃなく、期待のために我慢するという構造からやりたいことやったら期待がかなう(かもしれない)という構造に変えるとなんかいいよねっていう。。。これもしかして当たり前のことなのかな、わたしが卑屈すぎるのかな。。。とも思いつつ。。。。

 

要約すると、期待のために動かず、動くために動く、そうすればなるようになる(そんなに悪くはならない)ということを思っている。

 

あと、昼に東大生をいっぱい輩出してる中高一貫校の取材やってて、そういうレベルの人たちって勉強そのものを楽しんでそうだなって思って。

勉強が本当に無理とか運動が本当に無理とか、とにかく無理だけどやらねばって感じたときは、やらないで本人が好きな他のことに人生を使ったほうがいいのではって思うけど、そんなに無責任なことを言っていいのかもわからないのでちょっと断言しないでおこうと思います。子育てって難しいんだろうな。

 

 

 

 

歯切れの悪い文章ですみません。

 

ガキ使の街で芸能人見つけるやつ好き。笑 

序盤でアイスコーヒー休憩するのが好き。

 

おやすみなさい!