ラング・ド・シャ・ブリュレ

ネガティブなひとに捧げる、明日を楽しく生きられるように!のブログ。「ラング・ド・シャ・ブリュレ」の日本語訳は「猫の舌・焦がす」です。

「変わりたい」の正体ってなんだと思いますか?PART2

Dog & Cat Doll - GINZA Illumination2012

前回の続きです。

 

「変わりたい」にはポジティブな動機とネガティブな動機があるのでは?

というのが今回の主題です。

 

 

(私は専門家でもないし、まだ20代だし、ちゃんとした社会人でもないので偉そうに語れる立場ではないのですが、最近の関心ごととして聞いてください。)

 

まずは「変わりたい」と思うときの動機を挙げてみました。

「変わりたい」…私なんて大嫌い

「変わりたい」…あの人が羨ましい・ずるい

「変わりたい」…今の状況から逃げたい

 

「変わりたい」…憧れの人に近づきたい

「変わりたい」…人生に楽しみを増やしたい

「変わりたい」…夢を叶えたい

 

いうそれぞれの動機があったとして、「変わりたい」というモチベーションを同じだけ持っていたとしても、前半と後半で雰囲気が全く違う気がします。

 

どちらが良いというのは一概に言えないのかもしれませんが、後半の動機のほうが自分への負担が少ないのは明らか。

 

自己評価が低い人(私も)って、ほっておくと前半の動機に陥りやすいと思うので、眉間にシワが寄った人にならないように気をつけなきゃなぁ、と思っています。

 

 

そもそも、「変わりたい」の半分くらいは変わる必要がないものなのかもしれません。

 

 

たとえば、

「のんびりした性格でバカにされるから強気でサバサバした性格になって見返してやりたい」

っていうのが動機だった場合、性格を変えるのが目的じゃなくてバカにされないことが本当の目的で、特技を見つけて崇め奉られるとか、自分の性格をいいね、と言ってくれる人を見つけるとか別の方法もあるわけで、

本来の気質に逆らってまで変わる必要がなかったりするわけです。


(※最近心理カウンセラーの勉強をしているんですが、人の性格をピラミッドにすると、下から「気質」、「気性」、「習慣」、「社会的役割」という4つの構造に分けられるのだそう。そのうち、気質と気性は先天的なものなので変わることが少なく、残りのふたつは努力次第で変えられるのだとか。上の例の場合だと、のんびりとした性格は変えられなくても、尊敬されるような態度や習慣、社会的役割を身につければ状況は変わりそう。)

 

私の解釈なので、違う意見もあるかもしれませんが…。

少なくとも実体験からいえるのは、無理して性格を変えるのは全然魅力的じゃないということ。

 

 

 

わたしはお人好しでおっとりした性格だけど、昔はそれが嫌で嫌で。

高校生くらいの時、わざと無神経なこと言ってみたりとか、冷めた態度を取ってみたりとかしてた時期があって。でも全然ハマってなくて後悔は募るし、なにより単純に失礼なやつになっていました。笑

 

演じたものって全然かっこよくないんですよね。自然にできるから魅力的なわけで。だから最近は、自然とのんびりした空気が出せるのは強みだと思って生活するようにしています。

 

たまに自分でもイライラするほどのんびりだけど、でも基本スタンスは肯定で居られるようにがんばるんです。

 

それが癒されると言ってくれる人もいるし、ムカつくと言われることもあるけど、どんな人だってきっとそんなもん。

 

だとしたら憎しみで変わろうとするネガティブ動機はやめて、変わる過程も楽しめるポジティブ動機に切り替えていきたいな、と思います。

 

 

おわり!