ラング・ド・シャ・ブリュレ

ネガティブなひとに捧げる、明日を楽しく生きられるように!のブログ。「ラング・ド・シャ・ブリュレ」の日本語訳は「猫の舌・焦がす」です。

できなくてもいい

AE-1

自分にないものを持ってる人は尊敬するけど、だからといって自分もその人を目指す必要はないんだった、というのを最近思い出しました。

 

前から言ってるのにすぐ忘れて頑張ろうとしちゃうから困る。

 

わたしの場合、プログラマーの人と営業の人はとても尊敬してるんだけど、これはわたしにない能力だと思ったから。

 

大学とかフリーの仕事とかでプログラミングとか営業的なことをしなきゃいけない場面があったけど、ほんとにダメで。

 

数字は小学生のときから苦手で、もうこれは努力を積み重ねなかったことがすべてなんだけど、努力とか以前の問題でいうと電話アポが本当に苦手。

 

電話恐怖症なので、受話器を握ると手足がすごく冷たくなって震えるんだよね。大人だしそうも言ってられないから色々と克服法とか試して、顔がわかる人との電話は耐えられるようになったけど、知らない人との電話は極力したくない。

 

そんなとき周りを見渡すと、顔色を変えずに仕事してる人がすごく優秀に見えて。もちろん努力してるんだろうけど。

 

それで、わたしも頑張らなきゃ!と焦るんだけど、頑張るってなにも苦手をどうにかして得意にする、ってことだけじゃないんだよね。

 

野球の新庄選手は、スポーツの中で野球が一番苦手で、悔しいから野球を選んだって前にテレビで言ってた。

 

それってすごいしかっこいいけど、それを真似しなくてもいい。

 

好きなことで頑張ったっていいし、好きなことがなにもなくても、比較的得意なジャンルで頑張ればいいとわたしは思います。

 

今まで苦手なことを片っ端からやって、できないできないって苦しんできたけど、得意なことを伸ばして、できることを増やすことに方向転換したら努力が気持ちよくなった。

 

努力って気持ちいいもんなんだって今まで知らなかったな。恐怖が伴う努力は努力じゃなくて無理なんだと思う。

 

こういう風に考えてると、「ゆとりはそんなことばっかり言って、もっと社会に揉まれて苦しめ」って言われるのかなって時々考えるけど

 

社会での揉まれ方(?)を学ぶのも大事なのかなと思うよ。何が言いたいかって、自分ができないからって自分を嫌いになってしまう人がいるのが悲しいんだよ。

 

今日はあんまりまとまってなくてすみません。

夜中だから。おやすみ。